それでは今日も今日とて、
アイヌの絵本を紹介します♪
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『木ぼりのオオカミ』
文:萱野 茂
絵:斉藤 博之
【出版社:小峰書店 からのあらすじ紹介】
雪深い山おくにとじこめられた若い母と赤んぼう。
二人を夜ごとに襲う大グマ。
アイヌ語で語られたウゥェペケレ(昔話)。
《ふうによる物語説明》
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石狩川のほとりで、
たくましい狩人の若者が住んでいました。
ある年の秋、サケをとりに川上へ出かけました。
日も暮れてきて、寝る場所を探してある村を訪れた。
そして、おばあさんとおじいさんとその息子さん、
三人の家族が住んでいる家でお世話になりました。
親切な人たちでしたが、とても悲しそうな顔をしていて、
わけを聞いても話してくれません。
食事中も会話も少なく変わった家でした。
その夜、寝ようとしても眠くならず、
何故か川上の方へ行きたくて気持ちが落ち着きません。
若者は夜が明けてすぐに川上へと向かって走り出しました。
ただただ夢中で走り続け、雪がつもった山奥へと辿り着きました。
そこには一軒だけぽつんと家があったのです。
訪れてみると、そこには子どもを抱いた若い女の人がいました。
なぜ寂しい山奥に住んでいるのかと若者は聞きました。
女の人は言いました。
「子どもが生まれる前、夫の父と一緒に薪をとりに来たのだが、
そのままここへ置いていかれました。
しばらくして、毎晩のようにクマが襲ってくるようなったが、
その度に兄からもらった木ぼりのオオカミがクマを追い払ってくれるのです」
女の人が夕べお世話になった家族の人だと知った若者は、
そこまで連れて行くことを約束し、
一晩泊めてもらうことにしました。
その夜もクマが来ました。
すると、家から外へ飛び出していくオオカミも現れました。
木ぼりのオオカミの話は本当だったのです。
クマとオオカミの戦いは夜が明けても続きました。
若者は弓矢を持ってクマへと矢を放ち、クマは倒れます。
同時にオオカミもぱっと姿を消し、
そこには木ぼりのオオカミが落ちていました。
女の人は涙を流して喜びました。
そのあと、疲れて眠ってしまった若者の夢の中に
あのクマの神が現れたのです。
「私はこの家の女の人が好きだった。
どうしても妻にしたいと思い、
夫の父に魔法をかけて、ここへ連れてこさせた。
そして、あの人と話をしようと思ったのだが、
木ぼりのオオカミが私を追い払い、どうすることもできなかった。
どうか許して欲しい」
次の日の朝、
若者は女の人をあの家族の家へと送り届けてあげました。
家族も村の人たちも涙を流して喜びました。
そして、若者は村の人たちと共にクマを村へと運び
魂を神の国へ返すためにお祭りをしてあげました。
「これは本当にあった話だ。
だから、私たちアイヌが心を込めて彫ったものは
どんな小さなものでも大切にするのだよ」
と、立派なひげのおじいさんが話してくれました。
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心を込めて彫ったものはどんな小さなものでも大切に。
物にあふれてすぎている現代。
壊れたとしても、失ったとしても、
簡単に手に入れられる現代。
そんな今の時代からこそ、
この言葉は私たちに大切なことを伝えてくれている。
そんな風に感じます。
昔は、今のような便利な機械などなかったから、
ひとつのものを作るのに手間をかけ、
時間をかけて、作り上げていきました。
昔の人たちは多くの人が
どんな物も大切にする心を持っていたのでしょうね。
その時代に生きていた人たちにとっては、
物を大切にすることは当たり前のことだったのかもしれません。
とくにアイヌ民族では、
古くなった器物は霊送りという簡素な儀式を行うほど、
器物にも魂があると考えていたのだそうです。
器物だけでなくアイヌの人たちは、自然、動物、植物、道具などの
人間をとりまくすべての事物に『魂』が宿っているとしていたのです。
器物の霊送りについて、
お二方が記されたものを参考に説明します。
まず、
北海道を代表するアイヌ文化の研究者であられる
藤村久和さん が記されたものを参考に。
アイヌの人たちは器物が壊れたりすると、
「長い間ご苦労さまでした。ゆっくり休んでください」
と感謝の言葉を述べてから、
家の外にあるヌサと呼ばれるところにそれを持っていきました。
ヌサというのは、送られる霊があの世へと旅立つ場所で、
それぞれの家に一つずつ持っています。
そこには、これまで送ってきたクマやキツネなどの
頭骨がきれいに飾られていて神聖な場所なのです。
そのヌサへ持って行って、ヌサを守る女神にあとのことをお願いします。
しばらく年月が経って、器物がだんだん溜まってくると、今度は各家ではなくて村共同の霊送りの場であるチパと呼ばれるところへ持っていきます。
ちなみに臼などは、巨木を用いて作られたものなので、
山の大きな樹木のそばに置いて、あとのことはその樹木の神様にお願いしました。
器物を送る場合は、半年分ぐらいまとめて送る。
お椀がひとつ壊れる度に送るのではなく、ある程度たまるまでとっておくだそうです。
次に、アイヌの文化伝承の第一人者であられる
萱野茂さんの記されたものを参考に。
アイヌの人たちは、物に魂があると考えていたから、
古くなった道具の扱いも生き物と同じです。
例えば、ニマ(器)に穴が開いて使えなくなったときは、
外の祭壇の左向こう側へそっと置いて、
「ニマの神さま、長い間アイヌのために働いてくださって本当にありがとう。
この物をおみやげに神の国へお帰りください」
と言いながら、ヒエやアワ、たばこを供え、自然に朽ち果てさせるのです。
器物の霊送りの場は、
個人の家ではヌサと呼ばれる祭場であり、
集落ではチパとい祭場である。
古くなった器物は丁寧に霊送りされたのです。
これらを読んでもわかるように、アイヌの人たちは、
日頃から物を大切に扱っていたことがうかがい知ることができます。
器物や道具も感謝の思いを込めてその魂を送る心があるからこそ、
アイヌの人達は想いが込めて彫られたもの、
作られたものは大切にすることを
私たちの誰よりも心深く持っていたんですね。
そして、この絵本を彩る斎藤博之さんの大胆な筆のタッチで描かれた
クマと木ぼりのオオカミが戦うところは圧巻です!
ほかにも狩人である若はとても凛々しい様など、
いつものながら絵にも惹き込まれます。
とくに私は、
女の人が無事に戻ってきた時の、
家族の嬉しそうな笑顔が何より幸せそうでその場面がとても好きです
ぜひ多くの子どもたちに、
そして、大人たちにも読んで欲しい一冊です。
最後に、
『木ぼりのオオカミ』の最後のページに載っている
萱野茂さんが記した「この絵本について」の
項目ページに書かれた内容を少し。
アイヌの人びとは、
自分の手で作った四つ足がついて頭のあるものは、
すべてに魂がはいっているのだと信じていました。
特にお守りは、ふだんは決して人には見せず、
肌身離さず持っているものだったのですが、
精神の良い人に心をこめて作ってもらったものは、
ほんとうに魂がはいっていて、
お守りの役目をはたしてくれると信じていました。
この話そのものが、クマの恋が原因なわけですが、
このクマの気持ちを原文では
「たとえどこへ蹴落とされようと、どんな悪い神にされようとかまわない」
というほどに思いつめているのです。
人間の娘をかどわかした(※)ことで、
他の神々から「列をなして抗議がおしよせ」、
父神や兄神にひどくしかられても、それでも諦らめることができないのです。
このあたり、とても人間的な感じがしますし、
神と人間は平等であり、神は恋にまどうこともあるし、
悪いことをすれば罰せられるのだという、
アイヌの考え方がよくあらわれていると思います。
(※)かどわかす⇒力づくでどこかへ連れて行ったり、誘拐すること
物をいつまでも大切に----------------、
言葉にすると簡単ですが、とても難しいことですね。
イヤイライケレ!